【トーク】言語としての音楽。Victor Wooten (ヴィクター・ウッテン) TEDx Talk

エレキベース
Victor Wooten // Cosmopolite // Victor Wooten Trio // 2018-10-27 22:01:03 // Torshov, Oslo, Oslo, Norway (NOR) /

この記事では、Victor Wooten のTEDトークを紹介していきます。生涯、音楽を通して人生を豊かにしていく上で、とても参考になると思います。まず、要点は以下となります。

  • 音楽は言語
  • 母国語は勉強するというよりは、実際に聞いて使い、間違えながら覚えていく。
  • 音楽はある程度の実力がないと上手い人たちと演奏する事ができないが、言語のケースでは赤ん坊は常に上級者とジャムセッションしながら学んでいる。
  • 言葉は自由に喋っていいので、自分らしい表現ができる。
  • 兄は楽器を学びはじめるより先に音楽を学んで欲しかった。
  • 多くの音楽教師は音楽を教える前に、規則や楽器の弾き方を教えている。
  • 3歳になる頃、初めて楽器を持ったが既に音楽を知っていたので、ただ楽器を通してその音楽を奏でるだけでよかった。
  • 大事なことは2つ。練習を強いられないこと。何を表現するか指示されないこと。
  • 音楽では自由を取り上げられてしまうことが多い。
  • 成長して学ぶうちにその自由が失われてしまうが、その自由を保っておく方法を見つけなければならない。
  • お互いに耳を傾けてひとつになって演奏すれば、一人ひとりがすごいパフォーマンスをしなくてもいい演奏になる。
  • 音楽を引き出したければ、自分で送り込まなければいけない。今感じている音楽を楽器に送り込むだけでいい。
  • 人生で何か悪いことやひどいことが起こった時、間違った視点から見ているだけなのかもしれない。
Music as a Language: Victor Wooten at TEDxGabriolaIsland

Youtube画面右下の歯車で日本語を選択すると字幕が出せる様になります。以下、翻訳文を掲載しておきますので、読んでいただいても結構です。

どうもありがとう。

俺がバンドに生を受けたっていうのは本当の話だ。まさにその通りなんだよ。俺が生まれたとき 兄貴4人は既に音楽をやってて、ベーシストが要るって分かってたんだ。それで家族のバンドが完成するからさ。俺はベース担当として生まれたってわけだ。歳をとって 先生と呼ばれるようになった今、自分が音楽をどう教わったかを思い返した時、教育として教わったことはないと気づいた。

ほら自分の母語ってものを考えてみてくれ。俺も多分会場のほとんどの人も英語だろう。だから英語の話になるけど、どうやって習得したか考えれば教わってはいないよな。周りが勝手に話しかけてきたはずだ。でも最高なのは、これがまた面白いんだけど、相手に言い返してもいいってことだ。音楽の話でいえば、ほとんどの初心者は上手い人と一緒には 演奏させてもらえないもんだ。初心者クラスに足止めだ。何年かそこに留まって、中級にそして上級に上げてもらって、上級クラスを卒業した後もやりたくないことをまだたくさんやらなきゃならない。

でも言語の場合、赤ん坊でさえ音楽用語でいえば プロと「ジャムセッション」してるんだ。しょっちゅうさ。これが当たり前すぎて自分が初心者だとは気づかない。「今のあなたとは話にならないわ あっちに行きなさい。大きくなったら話しましょうね。」 とは言われない。そんなことにはならない。自分が何を言うか誰にも指図されたりしない。隅に座って練習させられたりもしない。間違えたときに直されたりもしない。ほら2歳児や3歳児が何度も言い間違えたって誰も直したりしない。子供があまりに何度も間違えると、間違いを直すどころか 親に子供の話し方が感染るだろう。

そして親も間違えた言い方をし始める。最高なのは子供は自由なままだってことだ。好きに喋っていいんだ。音楽を習うときみたいに何年も学んでから、自分らしい表現を見つけたりしないでいい。言葉だったら自分らしさを見失うことはない。誰かに取り上げられることもない。小さい頃の俺はそうやって学んでいた。言葉と音楽を同時に同じやり方で、学んでいたんだ

普段人にはこう言ってる「始めたのは2歳か3歳のときだ」その方がもっともらしいからそう言ってるだけだ。でも皆が言葉を話し始めたとき2歳とか3歳になるまで待ったかい?違うよな。生まれる前から始まってたと言ってもいい。初めて聞こえたときが学び始めたときだろう。そういう意味で俺の兄貴たちは最高にイカしてるし賢いと思う。5人兄弟の一番上の兄貴が、俺は末っ子で 一番上はレジーっていって歳は8つしか変わらないんだ。レジーの奴はなんであんなに賢いんだか それこそ謎だね。本家のTEDトークができるテーマだよ。

弟たちに楽器の弾き方を教えずに ミュージシャンに育てる、そんな見事な手法をどうやって考えついたのかっていう話だ。俺にベースを初めから持たせたりしなかった。違うんだ。一番最初は俺の周りで演奏してた。記憶のある限りずっと前からだ。ハワイに住んでて、兄貴たちがセットを組んでプラスチックのイスがあった。家の前の庭にセットを組んで、そこにプラスチックのイスがあった。プラスチックでできたミッキーマウスのゼンマイ式ギターが、そのイスに乗ってた。誰に言われなくても俺用だって分かったよ。

喋るとき誰かにお前の番だって言われなくても分かるのと同じこと。喋り方が分かってるように そのイスが俺のだって分かってた。その楽器も俺のだって分かってた。プラスチックの弦が張ってあってゼンマイを巻くと曲が流れる。弦を弾いても音は出なかったがそれは重要じゃなかった。

楽器が握れるくらい大きくなった頃、握るものをもらった。ただ俺に握るものを与える目的だ。将来の準備のためだった。その楽器で演奏することは目的じゃなかった。たくさんの音楽教師が犯している間違いだが、子供が音楽を理解する前に楽器の弾き方を教えている。でも言葉は書き方から教えたりはしない。「ミルク」の書き方を何年間もミルクをたっぷり飲む前に教えるのはおかしいだろう。なのになぜか音楽では それが正しいことになっていて、規則や楽器について先に教えようとする

でも俺が2歳くらいでおもちゃのギターを手にした頃には、もう音楽が身についていた。誰だって音楽と共に生まれてくるはずだ。誰の声でもいいから聞いてみるといい。どんな子供の声でも聞いてみるといい。これより純粋な音楽なんてない。そんなわけで兄貴たちは俺が音楽と共に生まれたと知っていて、俺にベースをやらせようと思ってた。だから 時期が来たらおもちゃのギターを握らせて、目の前で演奏したんだ。

俺も飛び跳ねながらおもちゃをかき鳴らしてた。でもやっぱり最高なのは楽器はどうでもよかったことだ。俺が学んでいたのは楽器を弾くことじゃなく音楽を奏でることだった。今でもそれを続けていると思いたい。当時の俺にも分かってたことがある。兄貴が4小節フレーズの最後にハイハットを開いたら どういう意味なのかは知ってたし、他のフレーズとの関連性も学んだ。

同じ要領で赤ん坊には母親の声が高くなるときの意味も、反対に父親の声が低くなるときの意味も分かるだろう。誰でもそうだ。単語の意味は理解できないとしても分かっているんだ。そんな風にして言語を学んでいく。子供の口から言葉らしい言葉が出てくるようになる頃には、言語とは何なのか既にだいぶ分かっている。

俺は音楽をおんなじように学んだ。自分の手に楽器を持った頃には既に音楽性がかなり育っていた。3歳くらいになる頃、レジーが自分の6弦ギターから2弦外して俺にくれた。それが俺が最初に弾いた本物の楽器だった。レジーが初めに教えてくれたのは、どの場所に指を置けば俺が既に知っていた曲の音を出せるのかだった。

ゼロから始めたわけじゃなかった。まず最初に音楽を知っていた。だから楽器を通してその音楽を奏でればいいだけだった。今振り返ると言葉を学ぶ過程もそうだった。最初に「楽器」について 学んだりしなかった。喉をどう使って喋るかなんてどうでもいいだろう?大事なのは何を言うかだ。いつだって俺には表現したい自分の音楽があった。いつだって何かしら伝えたいことがあった。そして自分の楽器を使ってそれを表現することを覚えたんだ。つまり大事なことは2つ。練習を強いられないこと、何を表現するか指図されないこと。また言葉の話になるけど何を言うか指図されないことだ。

新しい単語を習うとき、最初から文の中で文脈付きで使うもんだろう。音楽だと弾き方を練習させられる。練習にも意味はあるが文脈の中で使うよりも効率が悪い。言語学習では分かりきったことだ。俺は文脈の中で音楽を学んだ

少し大きくなって5歳くらいの頃兄弟5人でツアーに出た。俺たちは運よく偉大なソウル歌手のカーティス・メイフィールドの前座としてツアーさせてもらった。俺は5歳で一番上の兄貴はまだ13歳だった。考えてみればその歳でも俺たち皆まともな英語を話せてた。

音楽だってできるはずだろう?それ以来、俺はいつも音楽を言語のように扱ってきた。音楽も言語も同じ時期に同じようにして学んだからだ。一番よかったのは、子供が生まれつき持っているものを失わずにこれたこと。つまり「自由」だ。でも音楽ではこの自由を取り上げられてしまうことが多い。最初のレッスンからだ。レッスンに行っても、そもそもどうして習いに来たのか興味を持つ教師はまずいない。

だいたいの場合、エアギターで遊んでる子供に正しいも間違いもない。正しい音も外れた音もなくて楽器はどうでもいいんだ。そういう気分だからやってるんだ。シャワーを浴びながら歌うのと 同じやり方だし、同じ理由だ。通勤中の車の中で歌うときも同じ。正しい音程だからとか 正しい音階だから歌ってるわけじゃない。歌うと気持ちいいからだろう。今朝、朝食の席でこんな台詞を聞いたよ。「シャワー中の私は エラ・フィッツジェラルドなの!」

全くそのとおりだよ。なら他人が聴き始めた途端それが変わってしまうのはなぜだろうか。成長して学ぶうちにその自由が失われてしまう。その自由を保っておく方法を見つけなきゃならない。できるはずだ。永遠に失われたわけじゃない。エアギターをやってる子供はニコニコして弾いているだろう。ギターのレッスンに行くと初回でその笑顔が消えてしまう。多くの場合は、その笑顔を取り戻すのに音楽人生を通じて努力するハメになる。でも教師として正しくアプローチすればその笑顔を残しておくこともできる。

言語学習と同じようにアプローチすればいい。生徒に自由を許してやればいい。俺は少し大きくなると、兄貴たちと一緒にたくさんツアーで演奏し始めた。その頃、母にあることをよく聞かれたんだが、もっと歳をとって自分の子供を持つまでさっぱり理解できなかった。母は俺たちにこう言ったんだ。「いいミュージシャンに世界が求めているものは何だと思う?」

考えてみてくれ。俺は音楽の話をしてるが自分のキャリアに置き換えてみてほしい。世界が自分に求めているものは何か?今、歳を重ねてようやく分かったんだけど、音楽には言語以上の意味がある。音楽とは生き方なんだ。俺の生き方そのものだ。ただし、多くのミュージシャンが送るような 人生の話をしてるんじゃないんだ。

往年の伝説のミュージシャンたちを振り返ってみると、音楽では大成功したが人生では大失敗していることが分かったりするだろう。誰の気分も害したくないから名前は伏せておくけど、でも伝説のミュージシャンにはそういう人がたくさんいた。俺たち子供には分からない何かが親として、その先に見えていたから、親は俺たちに心の準備をさせてくれてたんだろうな。「いいミュージシャンに世界が求めているものは何か?」

俺たちはいつも練習してた。家中が音楽室になった。ご近所さんも州各地からのミュージシャンも集まった。俺らは練習。両親は、なけなしの金をはたいてクリスマスごとに最新の楽器を用意してくれた。サンタが最新の楽器を持ってきてくれた。何のためだったんだろうか?単に稼げるようになるためだろうか?ステージの上で歓声を浴びられるようにだろうか?今思えばそれよりもっと 大事な意味があったんだ。

音楽は俺の生き方だ。音楽を教える立場から周りと分かち合えるように、音楽とは何か今、改めて 学んでいるところなんだが、音楽では自分の人生に応用できることが、たくさん学べることに気づいた。優れたミュージシャンは優れた聴き手でもある。ベースがどんなに上手いかは関係ない。他のどの楽器でも同じことだ。どんなに上手くても関係ない。

世界最高のミュージシャン5人がこのステージに立ったとしよう。でも一人ひとり、てんでバラバラだったら、ひどい演奏になってしまう。でも、お互いに耳を傾けてひとつになって演奏すれば、一人ひとりがすごいパフォーマンスをしなくても、ずっといい演奏になる

数年間、カリフォルニア州のスタンフォード大に立て続けに招かれて新入生向けの授業をするために音楽チームを作った。そこでは音楽を使って新入生たちのこれからの4年がどんな風になるか 考えさせることができた。音楽を使うのは楽しかったよ。話題にしにくい物事でも何でも話せる手段が音楽だからだ。政治、人種差別、平等、不平等、宗教といった物事も音楽を通じて語ればまだセーフだ。

授業では一度も楽器を触ったことのない学生を聴講生の中から指名した。主に女の子だった。壇上に呼んでベースを首から下げてやって、バンドに演奏を始めてもらう。演奏が始まるやいなや、その学生はこんな風になる。俺はすかさず「それが音楽だ!」

ベースに耳を傾けるんだ。楽器店に置いてある楽器みたいにそこにあるだけでは音は出てこないだろう。そこから音楽を引き出したければ自分で送り込まなきゃいけない。今 感じている音楽を 楽器に送り込むだけでいい。」

そして学生にネックを握る左手に力を込めさせる。楽器の持ち方は誰だって分かるから教える必要ないしな。ネックに力を込めて右手を弦の上で自由に遊ばせる。学生が爪弾き、バンドは周りで盛り上げる。あっという間にその子はベーシストに早変わり。というよりミュージシャンだね。

ダンサーが踊り出す前にどうするか考える必要はないし、歌手も普通何調で歌えばいいか聞く必要もない。ミュージシャンには考えることがありすぎる。だからこの授業は新鮮だった。「すごいぞ。 バンドが良ければこの子には何の知識も必要ないんだ。」

あっという間にバンドが完成し、教室に誰かが入ってきて新メンバーが加わったバンドを見たとしても誰がその新メンバーかを見抜けないほどだった。それで気づいたんだ。「すごいぞ俺が持つ力を正しく使えば他人を急成長させることができる」

スタンフォードでの授業で最高だったのは、その学生がベースを持ち帰ったこと。最近その子に会ったけどまだベースをやってるそうで何よりだ。

聴くことは音楽がもたらす一生使える特典だ。共同作業をしたり、もちろん他人を育てる力をつけることもだ。上に立たせてもらったら、謙虚なフリしてそこから降りてきちゃダメだ。上に立ったままでいることだ。その場所は皆にとっての目標になるんだから。上に留まり周りを引き上げるんだ。そうすれば自分が降りる場合よりも周りは速く成長する。自分に優れた力があるからそういう人たちを助けられるんだ。音楽業界では普通、人に言われて初めて自分は優れていると言えるんだし、「あの人はグラミー賞をいくつも獲った」 とかね。周りがいなきゃ何の賞も勝ち獲れない。

もう1つ母がいつも言っていたことがある。「あんたたちは既に成功してるわ」「世界がそれを まだ知らないだけなのよ」当時は理解できなかったが今ではすごくよく分かるんだ。

最後に少しだけ考えてほしいことがある。2つの音を出すとして仮に「ド」の音を出すとしよう。想像力を働かせてみてくれ。隣同士の「ド」と「ド#」を出したとしたら、たぶん不協和音に聞こえるだろう。「間違い」「ひどい音だ」って。でも「ド」の音を1オクターブ上げて「ド#」と「ド」を もう一度出してみよう。急に今度は美しい音色に聞こえる。同じ2つの音だよ。この「ド」は「ド#」の 「メジャーセブンス」になる。

これは綺麗すぎると言ってもいい 美しい和音を作る主要素になる。じゃあどうして同じ2つの音の組み合わせが 不協和音になる場合と美しい和音になる場合があるのか、それを人生にも当てはめてほしい。人生で何か悪いことや、ひどいことが起こったとき、間違ったオクターブの中で見ているのかもしれない。見方を変えてもいいんじゃないかな。

実際何かがおかしいと思ったら、間違ったオクターブの中で見ていることに気づくことだ。そして見方を変える方法を探すといい。音楽用語で言えばオクターブを変えればいい。人を傷つけるために 爆弾を作っている国々がある。恐怖を刷り込み人を殺して爆弾作りを正当化している。国が政府が爆弾を祝福しているんだ。それを放つ前にな。これはトップダウンで政府主導で起こる。それが現状だ。

だからこそ解決策はボトムアップで 出てくるべきじゃないか。人に人を愛させる爆弾はあるだろうか?キューピッド爆弾みたいな?俺は既にあると思う。音楽と呼ばれるものだ。どの国にも独自のバージョンがある。効果もある。人々を1つにまとめてくれる。音楽について何も知らなくたって 手に入るものだ。音楽は言語であり、生き方でもあるそして世界を救えるものなんだ。俺はヴィクター・ウーテン、ミュージシャンだ。音楽は俺の戦場だ。皆も仲間に入ってくれ。

どうもありがとう。

翻訳 Riaki Poništ 校正 Naoko Fujii

https://www.youtube.com/watch?v=2zvjW9arAZ0

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